シナプシ畑。

何かにつながる十歩手前の雑記。

『メトロポリス』(微バレ)

 

 日本の現人神といえば、手塚治虫氏である。まあ、亡くなってしまったが、神であることは間違いない。

 その神が関わった作品に、さらにたくさんの神々が集結したら、
 そこはオリュンポスとなる。

 個人的感想だが、この映画はそのオリュンポスの様な存在だ。

 この映画はメトロポリスだけど。

 

 

 目次

 


基本情報

 公開 2002年
 原作    手塚治虫
    (フリッツ・ラング監督の映画を参考の一つにして描いた)
 監督 りんたろう
 脚本    大友克洋
 協力    やなせたかし
    永井豪


冒頭

 とんでもなく未来であろう世界。
 超巨大な都市国家メトロポリス』。
 ひどく飛び抜けた摩天楼群を中心に広がっている街の中では、浮遊する車に当然のように働き回るロボットたち、そして日々を送る人間で溢れていた。

 そこにやって来たのが私立探偵のヒゲオヤジケンイチ少年だ。
 彼らは、生体を利用して人造人間を開発した国際指名手配犯のロートン博士を探しに来たのだ。

 捜査の手続きの際に街の案内役も兼ねたロボットも仲間に加わり、華やかな地上都市とはかけ離れた下級労働者が住む地下エリア『ZONE-1』へと降りていく。

 しかし、博士が潜伏している研究所が何者かによって放火されてしまった。

 慌ててヒゲオヤジが中に入るも、ロートン博士は瀕死状態。燃え続ける研究所からなんとか引きずり出そうとするヒゲオヤジに赤い手帳を指さすと、そのまま事切れてしまった。

 一方、裏口から入ったケンイチは、光る少女と出会う。

 実はこの研究所の放火犯は彼女を亡き者にしようとしていたのだが、そんなことケンイチ少年が知るわけがない。

 そして、まだその犯人が近くにいることも。

 急いでヒゲオヤジおじさんと合流しようとするも、ケンイチ少年は足を踏み外すと、少女もろとも都市国家のさらに下層区域へと落ちていってしまった。


脱線

 手塚作品の特徴である『スター・システム』がここでも採用され、ヒゲオヤジこと伴俊作や今作の敵ロック、皆さんご存じの『悪役俳優』ハムエッグやランプなど、彼らのファンにも楽しい作品になっている。
 声優陣も豪華なので、声優さんが好きな方は観て損はないだろう。
 しかし、主要キャラに棒読みがいるので、その心づもりは必要だ。

 当たり前のようにあるロボット差別。それを淡々と受け入れるロボットにそうでもないロボット。もちろん彼らの『人権』を求める団体も存在する一方で ロボットに職を奪われ彼らに憎悪を抱く人間たちも出てくる。


ちょっとした知識

 オリュンポス→書き手が言いたいのは『オリュンポス山』のこと。
 神話上、その山頂にはゼウスやヘラなどオリュンポス十二神の居住区とされているが、実際には*1標高2,917mの、実在するギリシャ最高峰である。

 フリッツ・ラング→1890~1976 第一次世界大戦を体験したウィーン出身の監督。

 メトロポリス→意味は『首都・首府』『巨大都市』

 摩天楼→先端が天に届くかのような超高層建築。魔天閣。スカイクレーパーともいう。

 サイレント映画メトロポリスフリッツ・ラング監督によって1927年に公開されたドイツのモノクロ映画。
 支配階級と労働者階級がはっきりと分かれた世界を舞台にしたディストピアである。
 某迷いの森のBGMにあわせて両手を真横に広げて腰を振る無表情の女性と、それをとんでもない恐怖顔で見ている男性数人が交互に出てくる、一時期流行った笑顔笑顔動画のあのシーンは、このメトロポリスの映画からとられている。

 ロボット→機械装置で人間のように動く人形。人造人間。
    コンピューター制御によって特定の作業、操作を自動的にする装置。など
    チェコスロバキアの作家チャペックがチェコ語の『robota』からつくった造語。という説もある。

 チャペックカレル・チャペック(1890~1938)
 チェコスロバキアの国民的作家。大戦時では国内で最も人気があったという。
 小説『山椒魚戦争』(終末SF)や「ロボット」と言う言葉が生まれた戯曲『R.U.R.』(ロッサム万能ロボット会社)などを書く。
 『山椒魚戦争』や戯曲『母』でヒトラー政権を批判したため、ドイツがプラハを占領した1939年に彼を捕まえようと乗り込んできたが、すでに亡くなった後だった。

 チェコ共和国スロバキア→1993年にチェコスロバキアが分離してできた国。ちなみにチャペックはチェコの人間である。

 スター・システム→漫画などの場合。同一の作家が同じ絵柄のキャラクターを俳優のように扱い、自身の他の作品にも登場させる表現方法。日本の漫画で初めてこれを取り入れたのが手塚治虫だ。

 タブレット→他にも意味はあるが、ここでは平面板とペン型の器具からなるコンピューター入力装置という意味で使っている。しかし、この映画でも現実世界でも、ペンではなく指を使っている。

 

参照

 アマプラ
 Wikipedia
 明鏡国語辞典

 


感想

・映像! 映像がやばい! 2025年の映画だと言われても全っっく疑えない。むしろそれでもまだ「映像綺麗!」「音楽の挿入タイミングが最高」「2025年でここまでの映画が作れるなんて!」と驚くことができるだろう。
 機械の細かい部品に丁寧に書かれた建築物、飛び、泳ぎ、走り回るロボットや生物は3Dを2Dを無理にあわせたような違和感が全く無い。
 とにかく内容がわからなくても映像と音楽、そして声優さん方で素晴らしい体験をしたという満足感に浸れるはずだ。

・もちろんストーリーも上級。いくつかの組織の内々の問題や、外から来る直面しなければならない問題、これら全てが違和感なく描かれていて、原作者が現人神であったという証明がここでもなされている。

・このメトロポリスに浮き出ている社会問題が、フィクションかつ未来の問題に過ぎないなんて、この2022年現在では言えなくなってきているような気がする。
 私たちの側の世界で、AIに人権を求める人たちはいつ頃現れるのだろうか。
 人権が認められない人間すらいるこちらの世界ではそれ以前の問題だと思うのだが。

・しかし、一番驚くのは、2002年の映画に、『タブレット』そのものがあるというところだろう。


・観ろ。


(敬称省略) 


 〆

 

*1:国立天文台編 編 『理科年表 平成19年』丸善、2006年、p.567頁』と、Wikiの脚注に書かれてました! (責任転嫁)